皆さんお久しぶりです。
皆さんお久しぶりです。
はい、めっちゃメンタル落ちてました
久々にタンクの水が減っているのを自覚した
自信タンク理論家 あやです。
先週末位が、ヤバかったです。
そういうと、「ヤバいなぁ」って私、良く言ってることに気がつきました。
昨日、体重計に乗った三女
「ねぇ、まま見て!11(kg)だって....ヤバいなぁ
気付かない所で、見られているものです。三女よ素敵なフィードバックをありがとう
そんな訳で、本題です。
私、今のお仕事を再開するとき、心に誓ったことがあります。
必ず、子育ても満足させると...
といいますのも、私仕事が好きすぎて、楽しすぎて夢中になっちゃうので、
意識しておかないと、すぐそっちの頭になってしまう。
もちろん、子ども達のことが大切なので、そこはうまくバランスをとりながら...
だけどね、やっぱり気付くと仕事の比重が増えていて
求めてもらえると、それに最高の状態で応えたいって思うじゃないですかぁ...
バランス崩れて来てないかなぁ...気になりだした、そんな時...
長女と次女が初めて、公開テストなるものを受けてみたんですよ。
そしたらね、そりゃ、そんなにうまくいく訳も無く。
次女なんて、解答用紙に書くって事すら分からなかったって
まぁ、そんなことも笑い話の筈なんだけど...
なんだか、私の心は雲行きが怪しい
そう、また始まってたの。
自分、責め責め攻撃が...
子ども、もっとみてあげなくちゃいけないんじゃない?
そうなる時は、大概自分が疲れている。
いっぱい、いっぱいで動いているとき
子どもが、ちゃんと見れていなかった
その事実を隠したくて
勝手に被害者になろうとしていた。
イライラして、子どものせいにしていた。
忙しいせいにしていた。
なんか分からない憤りを感じていた。
いろんな事が起こって、子どもに劇怒りして
もう、こんな自分嫌だぁ!!
ってなって
あぁ、これは何かに気付くチャンスなんだな
ふとそう思ったら、ノートに書き出していた。
自分の期待、思い、そして、ありのままの自分を認めていく。
どうなることが理想なのか、、、。
そして、こどもが描くママへの理想は?
それから、子ども達と沢山話した。
小さな私もありのまま伝えて、悪かったと思うところは謝った。
子どもはすべてお見通しだった。
そんななか、昨日、長女と次女に聴いた
「どんなママだったら最高? ママがそうなるならないは別として、思いつくまま言ってみて」
そしたら、次女は
朝の声のかけ方から、ピアノの褒め方、なんでも買って欲しい
などなど、楽しそうに話してくれた。
長女に同じ質問すると、
「今だよ、今」
「え?今?」
「うん、今のママが最高だよ」
「え?なんで?ママめっちゃ怒るやん」
長女「だから良いんやん!!」
次女「怒るから良いんやん」
あ。ハモった
「何が良いの?怒られたら誰だって嫌やん」
「それ、私達の為に怒ってるんやろう?」
「怒ってもらえないと、気付かないままやん」
そういうと、週末私が怒ったのは、長女が自分の目線しか見えてない事
習い事や、勉強するのにもお金がかかってるし、送迎もやってる。
その為に、パパもママも協力しているし、応援もしている。
習い事の話し合いをしているときに、そこが分かってる発言ではなかった事に、怒ったのだった。
まぁ、怒りになったのは、私がそこを頑張りすぎてたからなんだけどね
怒りの中にある愛と、本気度をちゃんと受けとってくれてたんだな
怒りだからこそ伝わる本気度ってあるよね。
できれば、子育ても楽しみながらやっていきたい。楽しみながら続ける為には、頑張りすぎないこと
やっぱり、心の余裕と、体力の余裕って必要だよね。
やりたい事が
やらなければならない事
にならない為には、
自分の心の声、身体の声を聞き逃さないこと。
しんどいな、なんか違うなと感じたら頑張りすぎてるのかもしれない。
その人のバランスは、その人にしか分からない。だからひとつ、ひとつ検証していく必要があるよね。
だけど、時々訪れる自信タンク激減の後には、必ず大きな学びがある。
そう、どんな状態になっても私達は戻って来れる。
そして、子ども達は暖かく見守ってくれている
自分が楽しいと
集客は苦手やけど
子どもはWiiとYOUTUBE
いつもだったら、許しながらも、な〜んか嫌な気持ちもくっついていたけど
今日は、おかげでめちゃめちゃテキスト作りがはかどった。
Wiiして、ママに感謝までされる
今日はなんて良い日なんだ(娘の気持ち代弁)
自信タンク理論家 あやです
そうそう、子ども達に感謝を伝えると、
早速お手伝いいっぱい頑張ってくれました。
もちろん、三女は
玄関の片付け!
今日は、帰って来たパパにどや顔してました
『そりゃ、ありがとうしか言えんわヮ
旦那、メロメロになりながら妙に納得しておりました。
そんなこんなで、先日の続編
洗濯物で劇怒り事件から、
(未読の方はこちらから)
あれから、もう一つ事件がありまして
(それはこちらの続編)
ピアノを一週間続けた次女、ピアノが許可されルンルンでレッスンへ、
それから2週間...
3回程、声はかけたけど、
それからもピアノに向かう様子は一切なし。
そこで、レッスン前日...
「何回か声もかけたけど、やっぱり練習しなかったから、もうピアノはいいんじゃないかなぁ」
私がそういうと
ギャン泣きで
『絶対辞めないから!!
と言ってくる次女
それから、洗濯物の件もあって
翌日、ゆったりした時間に聴いてみた。
「ピアノの先生は、どんな気持ちであなた達にピアノを教えているんだと思う?」
『ピアノを弾ける様になって欲しいから』
「じゃぁ、お行儀を教えて下さる事は?」
『え?分かんない...』
「ピアノを通して素敵な人間に成長して欲しいからかなと,ママは思ってるよ。あなた達が行くと先生とっても喜んで下さるよね。あなた達の事大好きだもんね♡」
『うん
「じゃ、学校の先生は?」
「マンションの管理してくれる人は?」
『パパは?」
沢山の視点を次女に考えて貰った。
「ママ、ひとつ感じてる事言っても良い?」
『うん』
「Sちゃん(長女)は、お風呂掃除をこの一年担当する事になって、ママが掃除していた時に『ママ、ありがとう』って言ってくれるの。それは、なんでだと思う?」
『うーーん』
「Hちゃん(次女)も、みんなの引出し片付けてくれてたよね。ママとっても嬉しくて、ありがとうって思ったよ。だけど、ここすぐにむちゃくちゃにされたらどう思う?」
『悲しい』
「それは、お手伝いして始めて気がついた事だよね。私達は自分達だけの力で生きてるんじゃないんだよ。皆が私達の為に働いてくれてるんだよ」
次女が、目にいっぱいの涙を溜めてこっちをみている
「どうしたの?」
『私、感謝が足りなかった
なんだか、いっぱいの愛を一気に受け止めた顔だった。
「そっかぁ、そう思ったんやね。」
『私、ピアノ練習する!!』
「それは、誰の為にするの?」
『私が頑張ったら、先生は喜ぶけど...うーん、でも、自分の為!!
私が幸せになったら、先生が喜ぶ』
「わぁ、自分で考えたんやね!! うん、ママも応援する!」
お手伝いって、何の為にさせるのか、
もしかしたら、分かってそうで、分かってなかったのかも!
もちろん、手伝ってくれたら嬉しいし、将来の役にも立つ。
だけど、一番育んでいるのは、感謝の気持ちかもしれないなぁ...
感謝の気持ちを知って、自分が『ありがとう』って言われる存在になる。
こうして、子どもって成長して行くんでしょうね。
なかなか濃い日々を過ごしています
やまもとあやです。
今日は、自信タンクの存在を知って良かったと思った事を...
これは、大分前の話になります。
娘が
『私は皆から嫌われている
無視されている』
そんな風に言った事があったんです。
しかも、何ヶ月も前から続いてると。
そう言われて、親としては、本当に胸を引き裂かれるような想いでした。
でも、話を聴いていくと、それはある時から始まっていて、その時の思い込みから、娘にはそう観えているんだなと感じたんですよ。
人って、思い込みで観たい様にしか、観てないんでね。
そのときに話をした事...
あなたのお友達の自信タンクと、あなたのタンクは繋がっているんだよ。
もし、あなたのタンクがいっぱいで、
自分のタンクがそうじゃないってお友達が思ったとき、
それが羨ましかったり、ねたましかったり、タンクの水が減ったら良いのにって思うかもしれない。
それは、あなたが悪いからじゃない。
あなたが素敵だからだよ。
本当に、あなたは嫌われていたんだろうか?
(泣きながら、首を横に振る娘)
あなたはどうしたい?
『お友達のタンクも満たせたらいいなって思う』
何が、できそう?
『お友達のすごいところ、伝えたい。あ、私のタンクも満たさなくっちゃ』
うん、ありがとう。
ママはそうやって考える事ができるあなたを、誇りに思うよ。
でもね。
あなたは、ママの宝物だから、辛い時は教えて欲しい。
ひとりで我慢してたかと思うと、ママは悲しいの。
今まで気付いてあげられなくて、ごめんね。
いろんな出来事がある。
それを、良い、悪いでジャッジするのではなく、
ひとつの学び、ひとつの経験とする事ができるのではないか。
人の言葉や行動に、自分のタンクが減ってしまう事もある。
それを、どう捉えて、どう生きていくかは、自分で決めて良いんだ。
相手が悪いにとらわれすぎると、許せない自分に苦しむかもしれない。
こちらのタンクが減った分だけ、相手のタンクも減らしたくなるかもしれない。
だけど、タンクは繋がっている。
相手のタンクを減らした時は、必ず自分のタンクも減ってるから...
皆で水を増やしていける
そんな世界になることを祈って...
*翌日、娘はルンルンで学校に行き、それからも毎日楽しく学校生活を送ってます。沢山の経験をさせてもらえる、この環境に感謝します。
日曜日の朝、ひとりでカフェタイム
もう、本当に
自分が単純すぎて嫌になります(笑)
やまもと あやです。
一度、ブログを書き始めたら、ついつい書きたくなるもので...。
更には、応援メッセージも頂いて、改めて自分の幸せを噛み締めております。
ありがとうございます
一度、自分に『できた』を味わわせてあげる。
本当、これ大事ですね。
ということで、そんなお話。
先日の長女の課題、
未読の方は先にもう、ひとりで頑張らなくても良いんだよ
最高評価を頂いたらしく、
帰るなり、満面の笑み
更には自らテーブルに向かってもくもくと勉強しておりました。
(さすが我が子!単純さは同じ)
私、自分がコーチなもんで、
勉強は主体的に、自ら進んでやるものだ
それをやる気にさせるのがコーチの力量だと思ってました。
課題が出ていることは分かっていたけど、
できないこと、やってなくて評価が低いことは本人の問題だから
手を出すことは自分の方針に反するとぐらい思ってました。
でもね、課題をみてみると、子どもひとりで考えるにはあまりにも難しく、親のサポートが必要だと感じたんです。
そうです。
私は自分の強い思い込みから、子どもを観れていなかったんです。
もしかしたら、私に助けて欲しいという目線を送っていたかもしれない。
話を聴いて欲しいと、タイミングを伺っていたのかもしれない。
でも、自分でするのが当然だと思い込んでいる私には、全くみえていなかったんです。
ならば私、その思い込みを捨てます!!
と強く言ってはみたものの、
やっぱり勉強は主体的に、自ら進んでやって欲しいくらいにしとこうかな
これも大切な私の想いだからね。
その思い込みがあるのにも、必ず私の理由があるから。
だけど、もしそれが高いハードルなら
越えるのが難しそうだったら
最初は一緒に飛んであげたっていい
それをさせてもらえるのが、親なんだ。
まだまだ抱えているであろう、沢山の思い込み。
それをクリアリングしていくことが、自分の本当の気持ちに気がつけるチャンスなんだと思う。
タンクの水をクリアリングしていくことで、真ん中にある心のダイヤモンドを感じることができる。
どんな『〜ねばならない』、『〜であるべきだ』を持っているか、
そのひとつ、ひとつに、気付いていけることが、本当の自分に繋がる方法なんだとおもう。
それが無くなるごとに、ジャッジのない、ニュートラルな目線で子どもを観ることができる。
そうしたら、子どもの可能性を最高に伸ばしてあげれる、そんな親に私なれてるかなぁ
*ちなみに今週の課題は、私のサポート無くひとりでやってました。でも、観ていて欲しいんですって。 それ、大人も一緒だなぁと妙に納得。頑張ってる姿、誰かに観ていて欲しいよね。
やまもと あやです。
昨晩、娘に言われた写真を探すのに、パソコンの中のアルバムをみていたら、三女が10ヶ月位の写真や動画がでてきたんです。
動画めっちゃUPしたかったんですけど、旦那の声がデレデレすぎたので、名誉の為に写真で