もう、本当に
自分が単純すぎて嫌になります(笑)
やまもと あやです。
一度、ブログを書き始めたら、ついつい書きたくなるもので...。
更には、応援メッセージも頂いて、改めて自分の幸せを噛み締めております。
ありがとうございます
一度、自分に『できた』を味わわせてあげる。
本当、これ大事ですね。
ということで、そんなお話。
先日の長女の課題、
未読の方は先にもう、ひとりで頑張らなくても良いんだよ
最高評価を頂いたらしく、
帰るなり、満面の笑み
更には自らテーブルに向かってもくもくと勉強しておりました。
(さすが我が子!単純さは同じ)
私、自分がコーチなもんで、
勉強は主体的に、自ら進んでやるものだ
それをやる気にさせるのがコーチの力量だと思ってました。
課題が出ていることは分かっていたけど、
できないこと、やってなくて評価が低いことは本人の問題だから
手を出すことは自分の方針に反するとぐらい思ってました。
でもね、課題をみてみると、子どもひとりで考えるにはあまりにも難しく、親のサポートが必要だと感じたんです。
そうです。
私は自分の強い思い込みから、子どもを観れていなかったんです。
もしかしたら、私に助けて欲しいという目線を送っていたかもしれない。
話を聴いて欲しいと、タイミングを伺っていたのかもしれない。
でも、自分でするのが当然だと思い込んでいる私には、全くみえていなかったんです。
ならば私、その思い込みを捨てます!!
と強く言ってはみたものの、
やっぱり勉強は主体的に、自ら進んでやって欲しいくらいにしとこうかな
これも大切な私の想いだからね。
その思い込みがあるのにも、必ず私の理由があるから。
だけど、もしそれが高いハードルなら
越えるのが難しそうだったら
最初は一緒に飛んであげたっていい
それをさせてもらえるのが、親なんだ。
まだまだ抱えているであろう、沢山の思い込み。
それをクリアリングしていくことが、自分の本当の気持ちに気がつけるチャンスなんだと思う。
タンクの水をクリアリングしていくことで、真ん中にある心のダイヤモンドを感じることができる。
どんな『〜ねばならない』、『〜であるべきだ』を持っているか、
そのひとつ、ひとつに、気付いていけることが、本当の自分に繋がる方法なんだとおもう。
それが無くなるごとに、ジャッジのない、ニュートラルな目線で子どもを観ることができる。
そうしたら、子どもの可能性を最高に伸ばしてあげれる、そんな親に私なれてるかなぁ
*ちなみに今週の課題は、私のサポート無くひとりでやってました。でも、観ていて欲しいんですって。 それ、大人も一緒だなぁと妙に納得。頑張ってる姿、誰かに観ていて欲しいよね。
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